木原美智子さん、亡くなる。
同い年です。時々テレビで拝見していました。
くも膜下出血と言うことでした。
人のいる前で倒れたとのことなので、手当ては早かったはずですがダメだったんですね。合掌・・・。
しかし、かなりショックを受けました。
今年だけでも、有名人で、山口小夜子さん(57)、羽田健太郎さん(58)、石川賢さん(58)とほとんど
同い年の人が亡くなっている。
普段は、他人事と思っているが、同じ年の人が続けて亡くなると、自分もいつ死ぬか分からない、
いや、いつ死んでもおかしくない年になったのだと、つくづく思う。
身近なところで、死なないまでも、最近、喉頭がんの手術で声を失った人、ギランバレー症候群で、
もう半年近くも動けない人がいる。
気づくのが遅かった感はある。しかし、残り時間が、どれだけあるか知ることはできないが
少なくとも、あとどれだけと思って生きることは必要だと思う。
何か、大きな焦りを感じている。お金を儲けたいとか、女性にもてたいなど、世俗的な欲望は、
自分には縁のないことだとあきらめているが、ピアノについては、熱情のV楽章をどうしても
弾きたいと思っている。
しかし、遅々として進まない現状を見ると、残っている人生で、果たして完成できるのだろうかと
考えてしまう。
男の平均年齢には、あと20年ほどあるが、生きていたとしても、身体的に、ピアノが弾ける状態かどうか
---------指は動くか、目は、耳は、記憶力は大丈夫かという事を考えると残された時間は、ずっと短いと思う。
(ちなみに、ここ3日ばかり、腰痛でほとんど練習ができていない。)
子供の時に習わなかったというハンディ、これから身体は衰える一方というハンディ、etc。
やる気はあっても、なかなか越えられない壁がある。
また、最近、眠気がひどい。
ピアノを弾きながら、ウトウトしている自分を発見して、愕然とする。
こういうときは、いくら練習してもうまくならないので寝てしまうしかない。
今までやってきて、身に沁みて感じていることだが、ピアノを大人になってから始めた人間は、
生半可な努力では、弾けると言うレベルには到達しない。(私の場合は熱情Vを人に聞かせられる
程度に弾きたいのだが)
1日、1時間程度の練習時間では、とても足りないのが現状だ。
(このくらいの時間では現状維持がやっと。新しい曲などはとてもとても)
「じゃぁ、10年計画で!」と思っても、それでは下手をすると人生が終わってしまう。
またあまりに先が長いとモチベーションも低くなる。そうすると、ここ、1,2年でどうしても
目途をつける必要がある。
レベルの高い音大を受験する人たちは、幼少期から始めて、高校生ともなると、学校へ通いながら、1日最低、
5時間の練習を欠かさず、チェルニーやハノン(私が、絶対にやりたくない)をこなし、それでも、レッスンの
厳しさに涙するそうである。
ある音大出の人に聞いたところ、その人の受験のときの課題曲がまさに熱情Vだったそうだが。
それまでに、かなりの練習曲や普通の曲をこなしてきて、さらに、必死に練習して、
半年以上の時間がかかったとのことだった。
逆に言うと、様々なハンディを抱えながら、そんなすごい曲を弾くには単純に考えても、
その人の、2倍〜3倍の練習時間が必要なわけである。<−−−−−絶対に無理。
とりあえずは、絶対的な練習時間を増やすこと。
そして、その密度を上げることしかない。
最も効率的な練習方法は、ピアノの前に座って、その日の課題を黙々とこなすこと。
丁寧に弾いて、キチッと指と脳に憶えこませる。
弾ける曲は、その日の課題が全部終わって、なお時間が余っているときしか弾かない。
部分練習に徹する。通して弾くことは、時間があり余っているときしかしない。
ふーっ、全然、楽しくない。
趣味というものは、楽しんでやるものではないのか?
でもそうすると熱情Vを弾くことは不可能である。
自分に言い聞かせよう!ピアノに上達すると言うことは、(少なくとも、熱情Vを
弾こうなどと言うことは、)自分にとって、趣味の範囲をはるかに超えている。
これはライフワークと考えるべきかもしれない。つまり、仕事と同じ厳しさを持って望まなければ
できないと言うことだ。趣味で始めたはずなのに、どこかで道を間違えてしまったようだ。(トホホ・・・・・)
それでもできるという保証はどこにもない。