大先輩の思い出 2007/6/1 ホームへ戻る
それは、ちょうど昨年の、5月の連休明けでした。
封書が一通、見覚えのある字で、送られてきました。私の主催するピアノの会の
最長老で、84歳の人からでした。
あの人から、なんだろうと、思い、開けてみて目を疑いました。
そこには、こう書かれていました。
「私は、今日、旅立ちます。色々とお世話になりました。
葬式などと言うものは、忙しい人たちを、有無を言わさず、呼びつけてお金を出させるわけで
私の主義に合いません。ですから、親族以外にはお知らせしません。」
「実に幸せな人生でした。思い残すことはありません。
こんな、男がいたと言うことを、時々思い出してくれれば、それで十分幸せです。」
と書いてありました。
そして、最後にご子息から、この文章は、5年前に父が書き残しておいたものです。
と結んでありました。お出しする人の宛名書きまで用意されていたようです。
以前から、お付き合いをさせていただいていて、「すごい人だなぁ」とは感じていましたが、ここまで
用意されているとは、思いませんでした。
以下は、この方の演奏です。
略歴をご紹介すると
台湾生まれ
陸軍中野学校出身で、厳しいスパイ教育を受けられたそうです。
戦後、合唱団に所属し、仕事では、全国を転勤されて、55歳で、定年。そのあと、ピアノにのめりこまれたそうです。
一日に4時間も5時間も弾かれたそうです。そのうちに奥さんが、難病にかかって、長い付きっ切りの介護のあと
見送られました。私が知り合ったのはその後でした。技術的にむつかしいことを、されるわけではなかったのですが
、合唱団にみえたせいでしょうか。ピアノの歌わせ方が大変上手な方でした。また、曲のアレンジにもこだわってみえました。
3年ほど前だったでしょうか。突然、グランドの中古を買わないかという電話が入って、訳を聞くと、家財全部、売り払って
老人ホームへ入居することを決めた。グランドは持ち込めないので、売却するとのことでした。いいお話でしたが、
すでに持っていたのでもったいないと思いましたが、お断りしました。
ご子息には、迷惑をかけたくないからと、まだ、お元気なうちに、ご自分から、ホームへ入居されたそうです。
残念ながら、晩年は肩から腕に電気が走り、あまりピアノを弾くこともできなかったそうです。
あまりの、始末の見事さに、それから二、三日は、仲間内で、その話題ばかりでした。
私も、パクらせてもらおうなどど不謹慎な考えを抱いています。